アレから一年か・・・
大門ダヨ
「東日本大震災」から一年
被災したバカヲタメンバー
いや~かなり悲惨な状況でした
本当に「絶望」ってのを体験した気がします
今回は私、大門が「東日本大震災」時の体験を書いてみよう思います
思い出したくない人等は続きを読まないで下さい
「東日本大震災」から一年
被災したバカヲタメンバー
いや~かなり悲惨な状況でした
本当に「絶望」ってのを体験した気がします
今回は私、大門が「東日本大震災」時の体験を書いてみよう思います
思い出したくない人等は続きを読まないで下さい
2011年3月11日
その日の私はいつものように仕事へ向かった
仕事場は海沿いの場所
仕事場から徒歩5分で海へ着く
今にして思うと前日や前々日に大きい地震が何回も起こっていた
これが大地震への前触れだったのかもしれない
私は15時から休憩に入る予定だった
しかし仕事が予定より早く片付け終わったので早めに休憩に入ろうとしていた
そして14時46分
今まで生きてきたなかで体験したことのない「揺れ」を感じた
「これはヤバイ!!!」と思い建物の外へ向かう
今回は揺れてる時間が永い
外へ出ても立っていられない程の揺れ
地面のコンクリートの隙間が広がる
外で駐車していた我が愛車BNR-34のセキュリティーが鳴り響く
大門「うるせぇ!!!」
そして揺れが収まる
その直後、津波の避難警報が鳴り響く
そして放送
「直ちに高台へ避難してください」
その時の大門は楽観視していた
数ヶ月前に「チリ沖地震」の時も津波警報が発令されたが
その時は何もなかったからだ
大門「まあ今回も大丈夫でしょう~」
とりあえず仕事場へ戻る
停電、散乱する棚や荷物
大門「今日はもう仕事になんね~な~、ん!?」
その時私は気づいた
外に誰もいない?
とりあえず避難しておくか
警察とかが来たら「避難しろ!」と注意されそうだし、程度で考え
とりあえず車で避難する事にした大門
今日は仕事出来ないし実家にでも帰るかな~と考えて車を走らせたら
停電で信号が消えているので大渋滞
仕方ないので近くの高台へ避難する
後日わかるが
そのまま実家に帰っていたら確実に津波に巻き込まれていた
運が良かった
近くの高台へ避難した大門
未だに忘れられない・・・あの日は雪が降っていた
次々にメールが入る
家族から、友人から、上司から
「とりあえず大丈夫」と返信
その後、暇だったので白杜と電話してたww
大門「いや~死ぬかと思った~w」
白杜「この停電だとブログの記事書けないな~ww」
その直後
ザバ~ン!!という音、その直後に台風のような水しぶき
まさか津波!?
水しぶきが収まったのを確認して車の外へ
津波はもう来たようだが
「まだ津波がくる可能性があるので気をつけて下さい」と放送が入る
一時間くらい待機していたが、ふと気づいた
大門「アレ!?財布が無い!?」
そういえば仕事場に置いてきたんだった・・・
そろそろ大丈夫そうだし、仕事場へ財布取りに行くか~
しかし避難してる場所は既に車で一杯
この場所から車は出せない
歩いて向かうことにした
仕事場まで歩いて10分
仕事場は浸水していた
数時間前までいた場所が「海」になっていた
仕事場の建物の半分以上の水位
仕事場の前には釣り船らしき物体が浮いていた
この時初めて、今回の事態の大変さに気づいた
高台に戻ったが相変わらずの車の量で車が出せない
夜になり車が減ってから行動開始
ダメなこととは解ってはいたが
とりあえず仕事場へ向かう
浸水してるので車じゃ無理
細かいことは省略して、仕事へ到着
中に入ると異様なほど泥の匂いが充満していた
早速貴重品と会社の重要書類を持ち出し脱出
その日は実家に母しかおらず、不安がっていたので
自分も実家に戻る事にした
いつもの実家に帰るコースは海沿いのコースだけど、勿論通行止め
遠回りして帰る
信号が消えてるので大渋滞
街中が停電してるので、明かりは車のヘッドライトだけ
空には自衛隊らしきヘリが飛び交う
いつもの倍以上の時間をかけ実家に到着
車のガソリンがほぼ満タンだったのも運が良かった・・・
特に私の車の燃費リッター6~7キロ程度だったので
実家には父親も帰ってきたらしく家族三人揃う
ここから完全節電生活三日間が始まった
夜21時に寝て朝6時に起きる
電気が無いと自然とこうなるんすよ・・・
震災数日は異様な日常でした
スーパーで買い物するには並び、人数制限で入れて買う数も制限される
ガソリンスタンドが開いてない・・・
近所の川で死体が発見される⇒警察に連絡⇒「布でもかけとけ!!」
本当に異様な状況でした
数日後
私は一度仕事場へ戻る
私の仕事場には「冷凍食品」などの食べ物が多く置いてあったので
勿論冷蔵庫や冷凍庫は停電で動かない
物が悪くなるまえに消化しよう、と
仕事場から食料を調達し実家へ
近所の人へ食料を配った
そこからも色々ありましたが
まあ書く程のことではない、かな
アレから一年
かなり復興も進んで、ほぼ日常通りの生活が出来ております
支援してくださった全ての方々へ感謝を・・・
その日の私はいつものように仕事へ向かった
仕事場は海沿いの場所
仕事場から徒歩5分で海へ着く
今にして思うと前日や前々日に大きい地震が何回も起こっていた
これが大地震への前触れだったのかもしれない
私は15時から休憩に入る予定だった
しかし仕事が予定より早く片付け終わったので早めに休憩に入ろうとしていた
そして14時46分
今まで生きてきたなかで体験したことのない「揺れ」を感じた
「これはヤバイ!!!」と思い建物の外へ向かう
今回は揺れてる時間が永い
外へ出ても立っていられない程の揺れ
地面のコンクリートの隙間が広がる
外で駐車していた我が愛車BNR-34のセキュリティーが鳴り響く
大門「うるせぇ!!!」
そして揺れが収まる
その直後、津波の避難警報が鳴り響く
そして放送
「直ちに高台へ避難してください」
その時の大門は楽観視していた
数ヶ月前に「チリ沖地震」の時も津波警報が発令されたが
その時は何もなかったからだ
大門「まあ今回も大丈夫でしょう~」
とりあえず仕事場へ戻る
停電、散乱する棚や荷物
大門「今日はもう仕事になんね~な~、ん!?」
その時私は気づいた
外に誰もいない?
とりあえず避難しておくか
警察とかが来たら「避難しろ!」と注意されそうだし、程度で考え
とりあえず車で避難する事にした大門
今日は仕事出来ないし実家にでも帰るかな~と考えて車を走らせたら
停電で信号が消えているので大渋滞
仕方ないので近くの高台へ避難する
後日わかるが
そのまま実家に帰っていたら確実に津波に巻き込まれていた
運が良かった
近くの高台へ避難した大門
未だに忘れられない・・・あの日は雪が降っていた
次々にメールが入る
家族から、友人から、上司から
「とりあえず大丈夫」と返信
その後、暇だったので白杜と電話してたww
大門「いや~死ぬかと思った~w」
白杜「この停電だとブログの記事書けないな~ww」
その直後
ザバ~ン!!という音、その直後に台風のような水しぶき
まさか津波!?
水しぶきが収まったのを確認して車の外へ
津波はもう来たようだが
「まだ津波がくる可能性があるので気をつけて下さい」と放送が入る
一時間くらい待機していたが、ふと気づいた
大門「アレ!?財布が無い!?」
そういえば仕事場に置いてきたんだった・・・
そろそろ大丈夫そうだし、仕事場へ財布取りに行くか~
しかし避難してる場所は既に車で一杯
この場所から車は出せない
歩いて向かうことにした
仕事場まで歩いて10分
仕事場は浸水していた
数時間前までいた場所が「海」になっていた
仕事場の建物の半分以上の水位
仕事場の前には釣り船らしき物体が浮いていた
この時初めて、今回の事態の大変さに気づいた
高台に戻ったが相変わらずの車の量で車が出せない
夜になり車が減ってから行動開始
ダメなこととは解ってはいたが
とりあえず仕事場へ向かう
浸水してるので車じゃ無理
細かいことは省略して、仕事へ到着
中に入ると異様なほど泥の匂いが充満していた
早速貴重品と会社の重要書類を持ち出し脱出
その日は実家に母しかおらず、不安がっていたので
自分も実家に戻る事にした
いつもの実家に帰るコースは海沿いのコースだけど、勿論通行止め
遠回りして帰る
信号が消えてるので大渋滞
街中が停電してるので、明かりは車のヘッドライトだけ
空には自衛隊らしきヘリが飛び交う
いつもの倍以上の時間をかけ実家に到着
車のガソリンがほぼ満タンだったのも運が良かった・・・
特に私の車の燃費リッター6~7キロ程度だったので
実家には父親も帰ってきたらしく家族三人揃う
ここから完全節電生活三日間が始まった
夜21時に寝て朝6時に起きる
電気が無いと自然とこうなるんすよ・・・
震災数日は異様な日常でした
スーパーで買い物するには並び、人数制限で入れて買う数も制限される
ガソリンスタンドが開いてない・・・
近所の川で死体が発見される⇒警察に連絡⇒「布でもかけとけ!!」
本当に異様な状況でした
数日後
私は一度仕事場へ戻る
私の仕事場には「冷凍食品」などの食べ物が多く置いてあったので
勿論冷蔵庫や冷凍庫は停電で動かない
物が悪くなるまえに消化しよう、と
仕事場から食料を調達し実家へ
近所の人へ食料を配った
そこからも色々ありましたが
まあ書く程のことではない、かな
アレから一年
かなり復興も進んで、ほぼ日常通りの生活が出来ております
支援してくださった全ての方々へ感謝を・・・